" /> 「好き」がムズイ | 薬学生あざらしblog

「好き」がムズイ

考え

「好きな人」がいないから、彼女ができない。

「好きなこと」がないから、趣味を聞かれたときに返答に困る。

「好きなアーティスト」がいないから、ライブに行けない。

僕は昔から、自分の中にある「好き」という感情の輪郭を掴むのが苦手だ。 それは裏を返せば、「嫌い」もほとんどないということでもある。

嫌いな食べ物、嫌いな人、嫌いなもの……。 強いて言えばセロリや春菊、パクチーといった癖の強い野菜は苦手だが、それ以外の食べ物は基本どれも美味しく感じる。 対人関係もそうだ。昔から周囲は優しい人ばかりだったので、基本的に嫌いな人はいない。 自分の周りの人は、みんな「好き」だと言える。

けれど、その中で「あえて一番の好き」を聞かれると途端に言葉に詰まるのだ。

例えば、趣味を聞かれた時。 僕はとりあえず「バスケットボール」と答えることにしている。スポーツが好きだと答えたほうが、なんとなく見栄えが良いからだ。 実際、小学一年生から9年間バスケをしていたのは事実だが、最近はほとんどボールに触れていない。好きではあるが、胸を張って現在進行形で「趣味です」と言えるほどの熱量は、もうない。

好きなアーティストを聞かれることもしばしばある。 運転中などは、日本のトップ50プレイリストを流している。最近だとBE:FIRST、HANA、Vaundy、Number_iなどをよく耳にする。 しかし、彼らのすべての楽曲を聴き込んでいるわけではない。「好き」と公言するのは、本当のファンの方々に失礼な気がしてしまうのだ。 「好き」と言った後に、その知識の浅さが露呈するのが怖い。

だから、「推し活」など全くしたことがない。 僕の母と妹はアイドルの熱烈なファンで、よくライブに行っている。 好きなアーティストを推して、躊躇なくお金と時間を注ぎ込む姿。それは自分にはできないことだ。 でも、彼女たちはとても生き生きしていて、楽しそうだ。「ライブ」という楽しみが人生にあることが、僕は心底羨ましい。

恋愛においても、その「重さ」への恐怖がある。 なかなか好きな人ができないのは、理想が高いからだと言われることがある。 だが本当は、一度好きになってしまうと深くのめり込んでしまう自分を知っているから、好きになること自体が怖いのだ。

軽やかに色々な人と付き合える人が羨ましいと思うこともある。 たくさんの人と付き合った方が、経験値も増え、人生は充実するのだろう。 けれど、恋愛の「好き」は自分一人では完結しない。 自分の「好き」という重たいボールを相手に受け入れてもらえない苦しさや、相手の迷惑になってしまう可能性を考えると、僕はまた「好き」の手前で立ち止まってしまうのだ。

それでも、僕は変わりたいと思う。

「好き」を見つけられる人間に。

「好き」を突き通せる人間に。

なぜなら、熱を持った「好き」という感情こそが、人生を充実させるために必要不可欠なものだと気づいているからだ。

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